『京町家』のお話。其の38 神前で唱う歌が労働歌と為る。

 大陸は古代中国よりピラミッド型、墳丘墓(ふんきゅうぼ)が伝播(でんぱ)(紀元前3世紀頃)。弥生(やよい)時代(前400年~後300年)に祖霊(それい)信仰も伝(つた)わり甕棺埋葬(かめかんまいそう)は普及(ふきゅう)する。古墳(こふん)時代(後300~538年)に天皇家の縁(ゆかり)の故人を祀(まつ)る神社も初めて建てられる。
 太古の日本では神々は大空(たいくう)大自然や美しい自然現象の中に山や湖、森や沼、木々にも神々が座(ざ)して居られ、大自然の神々の美しさを讃(たた)え四季の自然現象の美しさを、神々の美しさを讃えたのが「和歌」の始まりで在る。縄文(じょうもん)時代、縄文土器の文様(もんよう)形態を同じにする部族単位の定住、拠点環状(きょてんかんじょう)集落が墓地を中心に周(まわ)りに貯蔵穴、外周には竪穴式(たてあなしき)住居の集落が形成され北上(ほくじょう)して行く。
 紀元前6000年頃より、死者や神々を祀(まつ)る祭殿が建てられる様に為(な)った。掘立柱平屋式多角長方形の祭殿で建築には大木も必要と為り、石斧(せきふ)で火を用(もち)い村人総出で伐(き)り出した。皆で力を合せ神官の祝詞(のりと)、願(ねが)いの言葉を口遊(くちづさみ)て、曳(ひ)き出し「柱立て」も行ったので在る。願いの言葉、祝詞の口遊(くちづさみ)が木曳(きび)きの音頭(おんど)と為り、目出度(めでた)い木遣(きや)り音頭と為った。大自然の中に座(ざ)する神々、美しさを讃(たた)える祈りが和歌の原形と為り、皆が何時(いつ)も口遊(くちづさみ)、風習と為る。(上代)
 
           最後をプラスでしめくくる。