古典文学を研究されて居る、瀬戸内寂聴(せとうちじゃくちょう)氏は言う『千年前の人の心も同じだと。』祖先はどう考えて居たか、どう生きたがって居たのかが分(わ)かると。自分の国の文化の成り立ちが分かる事は、とても幸せだと言う。奈良末期よりの万葉(まんよう)文化等。
平安以前の貴族社会では神話を重視、必ず踏襲(とうしゅう)する。神話に基(もと)づき神に相対(あいたい)する。逆に解(わか)り易(やす)い。鎌倉以後の武家社会に移り合理的個人的に為(な)り難解。貴族社会では貴族必須(ひっす)の嗜(たしな)みとして漢詩の深い知識や和歌を詠(よ)み、物語を覚(おぼ)える事、漢字仮名(かな)を認(したた)める必要も在った。古くは「風土記(ふどき)」で源氏物語等を。
太古より、元来(がんらい)日本の原始的な宗教では神々は山や湖、森や沼、木々にも住まい座(ざ)すると考え自然や自然現象等の崇拝(すうはい)と言われ神々の美しさを讃(たた)え、自然や四季の移り変わりの美しさを言葉に換(か)え捧(ささ)げたのが和歌の原形で在る。
宗教では国を二分する飛鳥(あすか)時代より「仏教」と大陸から続いて「孔子(こうし)の儒教(じゅきょう)」「老子(ろうし)の道教(どうきょう)」も伝(つた)わる。平安遷都(せんと)造営で四神相応(ししんそうおう)の地、道教思想の風水(ふうすい)で、京の都(みやこ)は形造(かたづく)られ、良いと想えるものは取り入れ、唐(とう)の都を手本に真似(まね)るが「道教」により唐は滅亡。察知(さっち)、日本は平安初期に道教と決別す。(上代)
己の姿勢を変えるべきでは無いと、想えるが。