新しい仏教「密教(みっきょう)」に国の未来を託(たく)したと言われる。密教(みっきょう)とはインドで生まれた仏教が700年代に飛鳥(あすか)時代末期、中国で釈迦仏(しゃかぶつ)を超(こ)える宇宙的な大日如来(だいにちにょらい)の経典(きょうてん)が作られ、山岳修行(さんがくしゅぎょう)と結び付く。空海(くうかい)は導(みちびかれ)かれて経典を目にする。
平安初期804年、遣唐使(けんとうし)と共に、空海、最澄(さいちょう)、入唐(にゅうとう)する。「仏(ほとけ)が人を救う為(ため)に神の姿を借りて現(あらわ)れた。」本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の太陽神、大日如来が天皇祖神の天照大神(あまてらすおおみかみ)と結び付いた考えに沿(そ)い、最澄が唐より帰国。桓武(かんむ)天皇の公認を得て806年、比叡山に天台宗(てんだいしゅう)を開宗。皇城鎮護(ちんご)の仏教、平安京に位置した。同年、空海帰国。第51代嵯峨(さが)天皇の庇護(ひご)の元、神護寺(じんごじ)を中心に密教広め816年、東寺を賜(たまわ)り真言宗(しんごんしゅう)を開く。823年には高野山も開く。密教は複雑な儀式と呪術(じゅじゅつ)の集合体で在り、比叡山で鎌倉新仏教の祖師(そし)も学ぶ。
密教とは、極楽浄土(ごくらくじょうど)も輪廻転生(りんねてんしょう)も無い。在るのは即身成仏(そくしんじょうぶつ)と言う。生きて居る此の身のまま、仏に為(な)ると説(と)く。現世(げんせい)に生きるままに仏に成ると言う。『自分には自分の色彩が在り華(はな)を咲かせ無ければ為らないと自覚する。』平安密教は貴族に支持されて千年後、明治政府の神仏分離で廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に。(上代)
最後の踏ん張りが大事で在る。