『京町家』のお話。其の31 平安京「神仏習合」貴族の仏教。

 国を二分する仏教偏重(へんちょう)の反省から桓武(かんむ)天皇は、長岡京、平安京遷都(せんと)より平城(へいじょう)京寺院の移設等を禁止、官寺(かんじ)の東寺と西寺のみを建立(こんりゅう)した。空海(くうかい)は長岡京に以前より在った寺の小さな御堂で見られ無い経典(きょうてん)を見つけた。其(そ)れは、釈迦如来(しゃかにょらい)を超えたと言う、宇宙的太陽神、大日如来(だいにちにょらい)で在り、天照大神とも例(たと)えられる。
 空海は直観する。日本は救われ民(たみ)も救われると。804年、空海と最澄(さいちょう)は第16次遣唐使船(けんとうしせん)により、「密教(みっきょう)」求め長安(ちょうあん)に向け出発する。平安京造営も一段落すると、先(ま)ず最澄が唐(とう)より、密教を持ち帰る。大日如来が天皇祖神、天照大神と習合し「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」は一気に拡(ひろ)がる。天皇祖神を祀(まつ)る伊勢神宮と天皇の墳丘墓を残して、此処(ここ)に「道教(どうきょう)」とは決別される。神道(しんとう)と仏教は密教に依り神仏習合と為(な)りて、日本は救われたと言える。続いて、仏教の正統な継承者「空海」波乱の中に帰国し伝える。仏教では国家鎮護(ちんご)の仏像は薬師如来(やくしにょらい)で在ったが大日如来に。以後、道教は神道に吸収され今日に到る。又、中国では仏教は道教に吸収され、考えの違い如実(にょじつ)と為ったが神仙(しんせん)思想根底に。平安中期に、仏教建築も取り入れ神社建築、雅樂(ががく)も確立、遣唐使廃止。(上代)
          夢は必ず、実現出来る。