『京町家』のお話。其の22 大型竪穴式豪族の居館跡出土。 

 守山市の伊勢遺跡は(大型竪穴(たてあな)建物群跡)此(こ)れまでに集落跡で高さ12㍍の楼観(ろうかん)跡、城柵(じょうさく)跡、と政治を行う宮室(きゅうしつ)(主殿や祭殿跡)等が出土(しゅつど)して居る。二世紀末、後100年頃「倭国大乱(わこくたいらん)」に係(かかわ)り、後の大和政権誕生に繋(つな)がる部族の首長居館(きょかん)が出土して居る。(弥生(やよい)、前400~後300年)後期、因(ちな)みに邪馬台国(やまたいこく)、卑弥呼(ひみこ)、魏(ぎ)に使者を送る(239~240年)。220年頃、魏が漢(かん)を滅(ほろ)ぼす。184年、黄巾(こうきん)の乱(道教(どうきょう))、三国志の幕開け、魏には長安(ちょうあん)と右に落陽(らくよう)の都(みやこ)
 此の時期、此の地域に最新の文化や技術が国内に伝わった、日本海ルートの接点で在ったと言わる。壁立式竪穴(へきりつしきたてあな)住居で屋根は草葺(くさぶき)、丸い垂木(たるき)の立派な入母屋(いりもや)で棟(むね)を支(ささ)える円柱「屋内棟持柱(むねもちばしら)」を持つ。又、排雨水の為(ため)の周溝(しゅうこう)が深く掘られ周濠(しゅうごう)とする。竪穴式(たてあなしき)建物で最大で在った此の大きな竪穴住居には壁立面や床に大陸から伝わった最新の「レンガタイル」が使用されて居て、防湿(ぼうしつ)の工夫が施(ほどこ)されて居た。此の建物は一辺が13.6㍍、高さ9㍍の方形(ほうけい)で壁立壁をレンガタイルと針葉樹板で造られて居た。構造も先駆(せんく)的で類例が無い。此の立派な建物は以後、各部族の居館モデルと成ったで在ろう。(上代)
 
  素直な心とは、他人の意見も聴いて、自分の考えを検証する事か。