『京町家』のお話。其の23 最後の平安京『豊葦原瑞穂国』 

 伊勢神宮の外宮(げぐう)と内宮(ないぐう)を分(わ)ける板塀は、正(まさ)に汚(けが)れを祓(はら)う杭(くい)と土留柵(どどめさく)で相対(あいたい)す排水路を現(あらわ)す。弥生(やよい)時代(前400~後300年)水稲(すいとう)が急速に普及(ふきゅう)、水田が拡(ひろ)がり集落を形成す。土留排水路(どどめはいすいろ)が重要で汚(けが)れを祓い杭と土留柵で神域を分ける。
 水田を開くに葦(よし)の生い茂る低湿地帯等、沼地での固成(こせい)化への農耕で在った。排水の為(ため)の土留柵や杭が最も重要で、此の土留柵や杭に汚れを排除する意味が在る。古代よりの永く水利(すいり)事業とは、水の無い所へ水を引く事では無く、低湿地帯での泥水を人工の排水路を設(もう)けて水を排除して農耕に利用する事で在った。「神話に因(よ)り、農耕は葦(あし)等が群生する低湿地帯を固成し、水田が拡がり都市も形成される。」平安時代以前の貴族社会は神話を重視必ず踏襲(とうしゅう)する。
 杭の様に地を突いて祓い清める考えか。『御柱(おんばしら)』とは空高く突き掲(かが)げる杭の一種で地を祓い清め「神々を奉(たてまつ)り、御出頂(おいでいただ)く目印で在る。」決して天を支える物では無い。幡(ばん)や鉾差(ほこざ)し、長刀鉾(なぎなたぼこ)等や千木(ちぎ)、天を突いて祓い清めるものに台を組み、杭に付けては為(な)らぬ。天皇や一族、有力者が亡くなった場合古墳、墳丘墓を築造するが、必ず「御柱」を立てて完成時に納(おさ)める。(上代)
           「素直な心と、積極的な心。」