仏教偏重(へんちょう)の反省から国民、庶民の全(すべ)て、現世(げんせ)での幸福長寿を願い国家繁栄と永遠なる新皇都の為(ため)にも産業育成が必要で在った。「都市計画」として庶民の住居「長屋(ながや)」(土間住まいから、貴族と同様の床上生活へ。)が公共事業として整備された。
「都市計画」の求める処は機能する都市、最終的に「運命共同体」で在る。平安京遷都(せんと)の都市計画は廃都(はいと)を重(かさ)ねた反省から(長岡京10年で廃都、中国、長安(ちょうあん)を真似(まね)た平城京は風土が違い川も無く74年で廃都、藤原京は16年で廃都した。)地形や流通、廃棄物処理等(トイレは当時、水路を引いて跨(また)いで渡した。)環境にも注意、北高南低、山城は「四神相応の地」理想的で在った。其(そ)して、都市機能の「産業振興」が行われ各職方、産業に役所、役人を配し、『有司百官(ゆうじひゃっかん)』を置き織部司(おりべつかさ)、指物司(さしものつかさ)、大工の番匠司(ばんしょうつかさ)等、百官を設(もう)けた。
平安京造営時より建てられた一般庶民、雅(みやび)な連棟(れんとう)平屋建、板間の床上生活を暮(おく)りて長い屋根、長屋から庶民の住居を(屋(や))と呼(よ)び、貴族の住まいは(宮(みや))と称(しょう)す。産業振興は成功、庶民全て現世での幸福と長寿を願う「道教(どうきょう)、神道(しんとう)」、根底に神仙(しんせん)思想在り故(ゆえ)に『平安京』は千年の都に成り得たので在ろう。(上代)
相変わらず、書いて居りますので宜しく。