『京町家』のお話。其の⑨ 伝統の格式「外長押」横吊材。

 縄文(じょうもん)時代よりの「高床式堀立柱祭殿建築様式」から「外長押(そとなげし)」は生まれた。長手(ながて)方向、高床(たかゆか)面の桁行(けたゆき)側に渡された渡腮仕口(わたりあごしくち)、相欠(あいか)ぎ加工された「半割り丸太」で、上から打(ぶ)つけて取り付ける。妻側は丸柱間で梁に柄(ほぞ)孔入れ加工し組まれ床が張られる。(紀元前二千年、富山県小矢部市桜町遺跡出土等の建築部材に見る。)
 「外長押(そとなげし)」とは開口部の壁量を補(おぎな)う為(ため)、開口部上下に取り付け連続柱列を繋(つな)ぎ水平(地震)耐力を補強する為、通す渡腮仕口(わたりあごしくち)の長尺(ちょうじゃく)化粧の横吊材(おうかざい)。古来より大貫(おおぬき)、力貫(ちからぬき)と共に水平耐力を負担(ふたん)する部材で在る。平安時代末期、1185年、平安京を襲(おそ)った大地震により、屹立(きつりつ)する五重塔を残して都(みやこ)は壊滅(かいめつ)。歌人、藤原定家は倒壊(とうかい)の様子を明月記(めいげつき)に克明(こくめい)に記して、地震に対し「長押(なげし)」等の不足を挙(あ)げ多用するを提言(ていげん)して居る。(堀立柱建築史の為、斜材を嫌(きら)う。)
 『京町家』のファサードを飾(かざ)るのが「段格子(だんごうし)」。招(まね)く「鎧下見(よろししたみ)板押縁(おしぶち)腰張」。其(そ)してもう一つ外部正面の内法(うちのり)上端と窓枠下端に通されるのが伝統格式高い「外長押」です。太古より「高床式堀立柱祭殿建築様式」が貴族の建築にも使われ後、神社建築様式へ変わる。飛鳥(あすか)時代よりの寺院建築に使わる。(上代)
           託(たく)された想い、其れは歴史。