『京町家』のお話。其の⑧ 「鎧下見板押縁腰張」の起こり。

 「京町家」の基(もと)と為(な)る「四神相応(ししんそうおう)の地」『平安京』(794~1192年)遷都造営(せんとぞうえい)され、街並みは条坊(じょうぼう)新都市道路割りと伴(とも)に廃都(はいと)を繰返(くりかえ)した反省から運命共同体か、産業育成の為(ため)に、其(そ)して庶民の住まいも雅(みやび)な長屋で纏(まと)めて築造され、千年の都(みやこ)として成り得た。今に見る住居の間口(まぐち)「ウナギの寝床」は長屋に起因(きいん)する。
 平屋で屋根は白木の縦一文字に流れ交互に重(かさ)ね贅沢(ぜいたく)な板葺。貴族の館(やかた)(宮(みや))風の連棟(れんとう)長屋で庶民の住まいは(屋(や))と称(しょう)す。一切、土塗籠壁(つちぬりこめかべ)が通りから見え無い様に網代(あじろ)で覆(おお)った。玄関は内開きで窓は飾り窓の「蔀格子(しとみごうし)で在る。床は板張りでの床上生活を暮(おく)った。一般の地方の民家は農家で平安中期頃迄(まで)、平地式竪穴(たてあな)の住居暮(ぐら)し、土間上に直接敷物を敷いた生活で在った。『平安京』では多用な産業振興育成策が図(はか)られ、貴重な板材をもふんだんに使った様だ。
 「京町家」では代表的様式「段格子(だんごうし)」と共に玄関を飾る「鎧下見板押縁張(よろいしたみいたおしぶちばり)」が在り、迎(むか)える表情に見ゆ。此の腰板張は既に平安遷都造営時に庶民の長屋、妻側の両面を飾る外壁に贅沢にも「鎧下見板押縁貼」が張られ驚きで在る。
 絵巻物、奈良絵本にも正確に描かれ、当時の様子を観(み)る事も出来る。(上代)
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