『京町家』のお話。其の⑥ 嗚呼、縄文時代に争いは無く。 

 旧石器時代、(紀元前50万~前3万年)新人類(現代人)より少し早く枝分(えだわ)かれした旧原人(ネアンデルタール)は後期旧石器時代(前3万~1万2千年)入り、氷河期のピークを向かえマンモスも激減、捕獲も困難と為(な)り旧原人は絶(た)えた。
 新人類は竪穴式(たてあなしき)住居の原型で丸太組のマンモスの毛皮の円錐形(えんすいけい)テント式住居に住まい、マンモスを追って移動すれば次のグループの仮住まいと為る。オープンサイト住居と呼(よ)び、「連係(れんけい)コミュニケーション」の一環(いっかん)で縄文(じょうもん)時代(前1万1千~前500年)に入っても争(あらそ)いが無かったと言われる所以(ゆえん)か。氷河期のピークも過ぎ、特に東アジアは逸早(いちはや)く温暖と為り縄文時代を迎(むか)える。
 新人類は隣人(りんじん)で在った旧原人を見送(みおく)り、マンモスも絶え、恐ろしいトラも絶え定住化して、食糧等採取生活に移る。主食はドングリで豊富に有り、只、灰汁(あく)抜きの必要に迫(せま)られ煮炊(にた)き用に、世界で最初に焼成(しょうせい)土器を作り使用して居た。
 土間を掘り下げる竪穴式住居に住まい、部族社会が各地に成立、環状(かんじょう)集落を形成する。定住した竪穴式住居は一転してオープンサイトでは無く、廃屋(はいおく)や一家全滅(ぜんめつ)等、土を入れ埋(う)め清める風習が生じ太古より「思想」と為る。(上代)
           益々、面白く為って行きます。