『京町家』のお話。其の⑦ 「段格子」は蔀戸を、東雲を象る。

 古(いにしえ)の縄文(じょうもん)より何千年もの時の流れの中で、心に沁(し)み付き永遠(とわ)の世代を超え脳裏(のうり)に焼き着く光景に、竪穴式(たてあなしき)住居での暮(くら)しの中で三和土(たたき)に敷かれた茵(しとね)と呼(よ)ぶ敷物と、身体を横たえ靠(もた)れ、闇夜が明ける東の地平に雲が紫に輝くを見詰(みつ)め安堵(あんど)する。
 竪穴式住居の「はしり」と呼ぶ(語源は端折(はしょ)る、から。)流し台、排水口に開けられた小窓、篠竹(しのだけ)を碁盤(ごばん)の目状に編(あ)み土塗籠大壁(つちぬりこめおおかべ)下地組みの源(みなもと)とも為(な)った此の同意語の、「東雲(しののめ)」と呼ぶ小窓より、腰壁の葦簾(よしず)に靠(もた)れ紫に明ける東の雲を見詰め続け幾世代に渡り望み見て安堵した。東に向けられた夜明けを知らせる窓で在るが、此の篠竹の小窓、東雲(しののめ)と呼ぶ窓が貴族達の館(やかた)に取り付けられては『平安京』の雅(みやび)な王朝絵巻にも垣間見(かいまみ)る「蔀戸(しとみど)」と変化した。
 雅な「平安京」の街並みの通りにも面した貴族の館を(宮(みや))と呼び、庶民は雅な造りの長屋(ながや)にて初めて貴族と同じ土から離れて、床の上に住まいした。庶民の住まい長屋から取る(屋(や))と称(しょう)し、長屋の各玄関の横、見世(みせ)の間に付けられた雅な格子の飾(かざ)り窓、蔀戸(しとみど)を模(も)した格子窓で在るが此の飾り格子窓が全国各地に拡(ひろ)がった。「京町家」の段格子(だんこうし)は蔀戸を真似(まね)たもので在る。(上代)
           「他力本願思想」は京都に在ると言う。