日本住宅の原型とは、太古の竪穴(たてあな)式住居に始ります。竪穴式住居は家族単位で力を合わせて造ったと想われる。
暖(あたた)かい九州南部より、いち早く定住集落が出現する。旧石器時代の石器と縄文(じょうもん)式土器が出土、縄文時代(紀元前一万一千年より)が幕上げを告げる。其れは、部族社会が各地に成立して行き、又、連合して土器形式を共有する。
竪穴式住居は形式的には、寒い北の北海道で見つかって居る竪穴式住居が日本全体に伝わった様で在る。竪穴住居は、住居を広場の周囲に環状に配置する拠点環状集落が多い。又、広場の中央を墓域(ぼいき)とし、住居との中間に貯蔵穴等を配置する形式が一般的で在る。弥生後の平地式と竪穴式の二種類が在る。
竪穴式住居は中ほどに囲炉裏(いろり)を組み、木の実等採取生活、ドングリが主食だと想われ、其れは灰汁抜(あくぬ)きの必要に迫(せま)られ、世界で最初に焼成土器を使用して居た。囲炉裏で暖も取り最初はマンモスの毛皮で覆(おお)った丸い屋根の中央に煙り抜きが設けられ暖効率の為、土間を掘下げ土手の内側に葦簾(よしず)等を囲んで靠(もた)れた。土手の東上に水甕(みずがめ)を埋め石皿、石包丁、排水も在り流し台で在る。外に雨水との溜め穴を設けて、南に窓兼用の入り口が設けられて居た。(上代)
竪穴式住居研究の第一人者を自負して居ります。