『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の31

 唐は末期を向かえ道教思想(老子を祖とする現世の幸福と不老長寿を求める民間信仰)に拠る『黄巣の乱(こうきんのらん)』(875年)起こる。唯美的、技巧的な詩風も流行。唐は「道教」に倒れたと言える。遼(りょう)へ。
 平安京(平安時代794年~1191年)は先進の長安の都(618年造らる)に倣(なら)い遷都造営され「都市計画」に於いても古代よりの神仙思想で、やがて紀元前後に成立す「道教」に為り、宮都造りでは長い歴史の中から「風水」が考案され基本と為った。平安京も全面的に取り入れられ千年の都として達せられた。平安時代は約400年続くが、手本とした唐が衰退して、中国との違いも如実と為り、やがて中国では「仏教」が道教に吸収される。
 菅原道真は独自文化の為に遣唐使中止を諌言(かんげん)し(894年)廃止される。日本は中国道教、風水と決別する。日本文化は花開いて居り、仏教と神道は大日如来と天照大神とも例えられ仏教「密教」に依り神仏習合する。密教での正統な継承者と成る、空海は日本に帰国し、其の後、南域中国のインド仏教「禅宗」も日本に伝わる。平安末期には武士勢力が台頭し、禅寺も建立、武士に信仰されて行った。そして平安京の役目を一旦終える。(上代)
               其の32、に続く。
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