『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の30

 平安末期、栄西は中国の禅院で行われて居た飲茶(いんちゃ)の風習を日本へ紹介した。お茶は後に宇治で栽培される様に成る。栄西は臨済宗(りんざいしゅう)を日本に紹介して、曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖、道元(どうげん)を生み、宋(そう)より帰国後の「禅宗」は、貴族等に支持されて居た「密教」天台宗等の圧迫にて布教が困難に為ると、鎌倉幕府に接近し、其の庇護(ひご)の下(もと)布教す。
 『禅ZEN』は「武道」と深く関わり、「剣」に「道」を求めて来た者は禅門、を叩いた様で在る。日本の武道が、術では無く「道」なのは、禅に依るが遡(さかのぼ)れば「神仙思想」に在る。当時「思想」は仏教で在り、今「表現力」です。釈迦より大日如来での仏教の真理は森羅万象(しんらばんしょう)、究極での宇宙の真理で在った。『禅』とは思考を以って究めようとする事を断念し自ら経験せねば為らない。理屈では無い。体験上の事は文字には現わせず例えば、暑い寒いは体験した者で無ければ分から無いが、『書けないものを書き、見えないものを観える様にする事、』是(これ)が『禅』の「造る事」に為ると言う。「造る」とは「生きる」と言う事と同義語で在り、肝心なのは技量を遣って見せる事では無く、寧(むし)ろ其の精神状態が人目につかぬ程の挙動(きょどう)に至るまで評価される事です。(上代)
               其の31、に続く。
                 ↓↓↓