『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の32

 平安末期1185年、元暦(げんりゃく)大地震により平安京は壊滅するが、其の年は壇ノ浦にて栄華を極めた平家一門も滅亡した。幼い天皇と伴に三種の神器も海底に没す。此の年で事実上、平安時代は終わり鎌倉時代に入ったといえる。(鎌倉時代1192年より)
 民を救えないと貴族に支持されて居た「密教」を否定し、法然(ほうねん)を始め、天台「比叡山」を下り庶民の仏教へ。弾圧等仏冒涜(ほとけぼうとく)と1207年3年に及ぶ『念仏禁止令』現在に伝わる「鎌倉新仏教」の時代へ。空海や最澄らが育んだと言える。
 『平安京』最大の謎は、紀元前よりの「神仙思想」から始まり、『道』を示す「道教思想」を大陸より取り入れて「道教」から「密教」「神道」や「禅」へと受け継がれ、術では無く「道(どう)」として、日本人の心底に染(し)み付いて居る。「道」を指す、道教そして風水から『平安京』は造られたが、「道教」を駆逐して「平安京」は終わる。「道教」とは日本にとって、何であったのか。平家と伴に海底に没した「三種の神器」も「天、地、人」道教思想として、鏡は天をかざし、勾玉は地を鎮(しず)め、人を制(せい)す剣が人を示すので在ろう。隋(ずい)の時代、聖徳太子が大陸「皇帝」に対し日出る国「天皇」と称し、始まった。(上代)
               其の33、に続く。
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