『謎に迫れるか、「平安遷都造営」のお話』 其の25

 日本文化の曙、万葉の時代(奈良末期より)『和歌』に登場する夜明け窓『東雲(しののめ)』で在るが、「篠の目」篠竹で編んだ網代の小窓で、土塗籠(ぬりごめ)壁(下地組)との組み合わせ。「窓」篠竹(しのたけ)が先か土塗籠壁、撓(しなる)る丈夫な割り竹の下地組が先なのか分からない。
 貴族の嗜(たしな)み、和歌を詠(よ)んだり漢詩を書(しょ)し、物語を覚(おぼ)える等(表現力の思想教育かと想える、)奈良絵本も平安京にて盛んに描かれ、絵巻物等にて当時の様子を窺(うかが)い知る。山や川、沼等木々にも神々が座すると考え、其の自然現象の中に感じ得て、神々の美しさを讃(たた)える和歌を詠み比(くら)べ数奇屋建築も発達。
 土の塗籠壁は大陸からも伝わり、壁の変遷(へんせん)として、平地式竪穴住居の腰部、上屋の基礎部、身を守る土塁(どるい)風の周提で柱が入って居る。版築(ばんちく)工法に拠り複数の土を重ね合わせ突き固め莚(むしろ)も入れて補強する。土塀や大垣へと発展。元は弥生時代での墳丘墓の築山(ちくやま)技術で、版築工法が大陸より伝わったもの。奈良時代に入ると、竪穴式住居の腰立上がりは周提より土塗籠大壁と為り、内法高さが徐々に高く成って行き、竪穴式住居は伏屋根(ふせやね)式から壁立式へと、柱入り版築式周提から土塗籠式大壁へと進歩、現在も見られ保存もされる茅葺(かやぶき)屋根の建物で、入母屋煙抜きのある草葺屋根へと発展して行く。(上代)
               其の26、に続く。
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