国内の護り本尊、多いのは、薬師如来で在る。昔は、病気が一番の恐れで在っただろう、様々な病気に罹れば回復は覚束ない。飛鳥末~奈良時代の薬師寺に、薬箱に腰掛けられる薬師如来、他の薬師如来像は左手に薬入れを持ち、病を治す。
49代桓武天皇は仏教偏重の反省から長岡京遷都に際し、10年後の平安京遷都時も寺院の移転等を認めなかった。唯一、元から在った長岡京の久米寺、(空海が居た)と平安京に官寺の東寺と西寺のみで、薬師如来が鎮座された。
空海は導かれる様に、久米寺の東塔から初めて見る大日経の経典を見付け、密教を知る。此の新しい仏教は後世に託せると直感す。釈尊も超えるのか宇宙的な神仏習合の大日如来を求め、直ちに十六次遣唐使が派遣され四隻の一便に使者と空海が、二便に最澄が唐の長安に向かった。真っ先に最澄が密教を持ち帰り、比叡山に天台総本山開き伝う。空海は唐の恵果(けいか)より密教の正統な後継者と認められ其の全て日本に伝えた。51代嵯峨天皇より東寺を賜りて、国家鎮護の東寺と西寺に大日如来が鎮座す。奈良時代での東大寺、盧遮那仏(るしゃなぶつ)も大日如来と言われる。極端に少ない大日如来とは誰なのか。(上代)
尚も、続きまぁ~す!