『木遣(きや)り音頭は何時から上棟式(じょうとうしき)時に唱われる様に為(な)ったのか。』要するに、官寺(かんじ)で在った東寺、空海(くうかい)に委(ゆだ)ねられ主尊(しゅそん)が薬師如来より大日如来(密教(みっきょう))へ移る。五重塔建立、心柱(しんばしら)用材の巨木を東山より伐(き)り出され木曳(きび)き音頭と伴(とも)にお木曳(きび)き衆も動員され境内(けいだい)まで運び込まれた。誤(あやま)って稲荷山の御神木を伐って仕舞ったと言われ中断、約50年後着工され時を取り戻す様に当時のまま木曳き音頭と伴に境内を曳(ひ)かれ心柱を建てる際にも唱われた様で以後、寺院建立の際には唱い継がれた。伊勢神宮、式年遷宮の木遣り唄に流れを汲(く)む。
大日如来は天皇祖神、天照大神とも例えられ「神仏習合」加速。空海は834年、大内裏(だいだいり)宮中内、唐(とう)に倣(なら)い真言院を建立、曼荼羅壇(まんだらだん)も設けられ天皇家は帰依(きえ)する。平安京は49代、桓武天皇に依りて開かれ794年遷都(せんと)。809年、実質的に継いだ51代、嵯峨天皇即位。伊勢神宮(宮室)に籠(こも)り天皇祖神に仕(つか)える為、「斎宮(さいくう)」の未婚皇女を送った。王城鎮護(ちんご)「賀茂社」も伊勢神宮に準じ次の皇女を「斎王(さいおう)」として仕えさせた。是(これ)が今に伝わる葵(あおい)祭「斎王代行列」の起源で在る。「賀茂社」へも『御杣山(みそまやま)』より御神木が伐り出され、お木曳き『木遣(きや)り唄』と伴に遷宮用材が賀茂社境内にも入る。(上代)
上代論で在る。身を慎(つつ)しみて、タブーを書く。
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