『京町家』のお話。其の42 武家屋敷と町屋は建て方の違い

 室町時代末期の特別史跡(しせき)、一乗谷朝倉氏(いちじょうだにあさくらし)遺跡に見る、武家屋敷と民家、町屋(まちや)の建(た)て方(かた)に厳然(げんぜん)と違(ちが)いが在り、当然と言えば当然だが、此処(ここ)に民家、町屋の原形が在る。
 先(ま)ず、天然の礎石(そせき)を約一m間隔(かんかく)の柱通(はしらとお)りで水糸(みずいと)を張り天端(てんぱ)に揃(そろ)え据(す)える。基礎は、規模(きぼ)は違っても町屋も武家屋敷も同様に天然の礎石で造り始める。
 違うのは此処からで在る。民家の町屋では全(すべ)て、礎石に柱が直接建つ石端立(いしばだ)てで在った。武家屋敷等は使用人の棟(とう)も含(ふく)めて全て礎石の上の通(とお)りに足固(あしがた)め土台を敷き据え柱が組まれる。次に、壁面の構造は、町屋の土壁も武家屋敷も竹小舞編(たけこまいあみ)の土塗籠真壁(つちぬりごめしんかべ)で仕上げられ、楔(くさび)付き貫(ぬき)が通る構造で鎌倉時代よりの耐震概念(がいねん)で在る。町屋では内部に化粧の貫(ぬき)が見える、シングルの下地編(したじあみ)だ。武家屋敷や社寺建築は壁に通す力貫(ちからぬき)が隠(かく)された両面のダブル竹小舞編下地で在る。今日の伝統建築「京町家」、土塗籠真壁での構造として水平力を担(にな)う、力貫を薄く隠して両面に仕上げ貫(ぬき)が下地の一部と成(な)り下(さ)がった所以(ゆえん)で在る。
 屋根は、当時の町屋(まちや)も武家屋敷も板葺(いたぶき)で在るが、縦引鋸(たてびきのこぎり)の普及(ふきゅう)で町屋の屋根は薄い板を重(かさ)ね強風に飛ばぬ様、置石(おいし)を載(の)せる民家の風景と為(な)る。(上代)
           個性を磨く事。