『京町家』のお話。其の41 土塀、大垣は版築工法で造る。

 平城京の朱雀門(すざくもん)を中央に大内裏(だいだいり)を囲(かこ)んだ、高さ5mにも及(およ)ぶ土塀(どべい)、其(そ)れが大垣(おおがき)で在る。
 飛鳥(あすか)時代よりの法隆寺の土塀は版築工法(ばんちくこうほう)で造る。平安京の大内裏を囲んだ土塀も版築(ばんちく)により造られた。中心線上に柱を並(なら)べ両側に枠丸太を対面に合わせて積み上げ数種の土を交互(こうご)に重(かさ)ねて叩(たた)き固(かた)める。基本的に粘土(ねんど)と砂質土を交互に積み重ね堅固(けんこ)に造る。城壁等、防御(ぼうぎょ)の土塁(どるい)、周提(しゅうてい)の築造法でも在る。
 「版築工法(ばんちくこうほう)」は中国よりの、墳丘墓(ふんきゅうぼ)で古墳の築造法として日本に伝わる。エジプトのピラミッドが紀元前1600年頃に中国の殷(いん)に伝わったと想わる。四角錐(しかくすい)のピラミッドそっくりだ。王と王妃の墓が地下で石棺(せっかん)にて二人並ぶ。頂点心に宝物石棺。下に黄泉(よみ)の国を現(あらわ)す畑を埋(う)めて拡(ひろ)がる。日本には紀元前300年頃、祖霊信仰(それいしんこう)と伴に伝わる。小山を利用して四角錐形に版築工法で複数の土を交互に叩き重ね築造す。表面に葺石(ふきいし)が貼(は)られて白く輝(かがや)いて居た。四方に堀(ほり)を設(もう)けて雨水が溜(た)められた。竪穴式(たてあなしき)の石室に舟形木棺(もっかん)に乗せられる。
 墳丘墓の築造法から土塁(どるい)の築造法へと為(な)り発展す土塀、大垣が築造される。竪(たて)方向に発想、「土塗籠大壁(つちぬりこめおおかべ)」へ竹小舞編(たけこまいあみ)下地とも変化したと想わる。(上代)
            他人に求めるのは、己が至らぬ為か。