室町末期の都市跡出土。一乗谷朝倉氏遺跡を訪ねて。

 戦国時代(1467年の応仁(おうにん)の乱~室町終焉(しゅうえん)1573年)山城と城下町が400年間以上も土に埋(う)もれ残された貴重な遺跡で在る。調査の結果、一乗谷川(いちじょうたにがわ)に沿(そ)った狭(せま)い平地部に道の両側に建てられた一万人余の都市が良好な状態で発掘された。
 平安京造営時の様子を探(さぐ)るに、室町時代の農家をも含(ふく)めて都市の町家等の様子を知る必要が在る。室町時代には多様な文化、建築様式等も確立される。
 室町時代の町家の様子が露(あら)わに為(な)った。郊外に点在する農家ではカマドが設(もう)けられて居るが、都市の武家屋敷等ではカマドは無く、炊事と暖(だん)を取る兼用の囲炉裏床を儲け炭火の石鉢、石組が用いられた。炭火は奈良時代より。
 室間時代の都市で「町家」は商人職人の住居は平屋の切妻板葺屋根、置石が載(の)せて並(なら)べ屋内は半土間、半板間の居室で寝室の納戸(なんど)が板戸で仕切られる。土間の三和土(たたき)に炊事用の炭火石鉢(せきばち)、水甕(みずがめ)と木や石の流し(はしり)を設ける。建物構造は柱の足元に礎石(そせき)が水糸(みずいと)を張って水平に並(なら)べて足固(あしがた)め土台を据(す)え、柱組が立つ楔(くさび)付き貫組(ぬきぐみ)の構造で在る。土塗籠真壁(つちぬりこめしんかべ)は、竹小舞編(こまいあみ)、内側は貫(ぬき)が見える。町屋ではシングル小舞編で寺院等はダブル配筋の壁で在ろう。(上代)
           最後まで遣り抜き通す事。