『諸富一郎、曰(のたまわ)く、人生は戦いで在ると。』

 想う、人生は戦いで在ると。己(おのれ)自身に於(お)いては「精神上の戦い」と共に「肉体上の戦い」も絶えず続く。又、「人に対する戦い」が亦(また)、絶えず続く。戦いで在る以上、負けでは無く、勝たねばならぬ。『言い換えれば、元気を出して之(これ)を克服せねばなら無い。』
 然(しか)らば戦いの武器は何で在るか。刀か鉄砲か大砲か。決してそうでは無く、『誠(まこと)』こそ、唯一の武器で在る。(天下の万機は一誠に帰す。)此の『誠』を武器として己(おのれ)の責任を果たして行きたい。礼、和、信義等と呼ぶ、全(すべて)て此の『誠の心』の発動に外(ほか)なら無い。然(しか)し、人は自分中心の利己主義に陥(おちい)り易(やす)い。憎しみ、妬(ねた)み、欲望に駆(か)られ易い。昔の人も『山中の賊(ぞく)を破(やぶ)るは易(たやす)いが、己の心中の賊を破るは難(むつか)しい。』と云(い)う通りで在り全(まった)く、誠々と口先で言うは易く行うに難(かた)い。然(しか)らば何をすれば此の、誠の心を養(やしな)うて誠を尽(つ)くす事が出来るのか。其(そ)れは『分け上(のぼ)る麓(ふもと)の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな。』と昔の歌にも有る通り学問の道をはじめ色々と修養の道は有る。其(そ)の中に在り私共は等(ひと)しく詩吟の道に這(は)い行って居る者で在ります。即(すなわ)ち誠の心を養うが詩吟の原点で在る。故、諸富一郎は伝(つた)う、人生は己との戦いで在る。(上代)
           信念に依り『信』を培(つちか)う。