『羅城門とは何か、其の②』 

 『羅城門とは何か、其の②』 平安時代(794~1191年)中期の遷都から百数十年経過して平安京は衰退した。末法思想(釈迦の死後2000年には仏の加護がなくなると言う)蔓延る。替って阿弥陀如来(見え無い世界から)登場する。平安京を囲むように百体の祠が置かれた。今も阿弥陀如来が護る。
 羅城門には最早、表玄関としての面影は無かった。天元三年(980年)大風に拠って倒壊する。政情不安が続く世の中では放置されて居る状態で、羅城門には二回に兜跋毘沙門天が安置して在り、平安京の繁栄も荒廃も此の二階から見て居た。兜跋とは中央アジアのチベット、コータン兜跋国から来て居ると言う。瓦礫の中から毘沙門天は救い出され東寺に運ばれ今、宝物館で国宝の中の国宝として、特別公開の時しか見る事は出来ません。倒壊した羅城門の礎石は藤原道長の建てた法成寺に使われたと言う。羅城門の左右の東寺と同じ伽藍を配した鎮護国家官寺の西寺は羅城門が無くなってから十年後の正暦元年(990年)原因不明の出火に拠り西寺は只、五重塔を残し全ての伽藍と経典と伴に灰に為って仕舞った。鎌倉時代に移って間もなく、西寺の五重塔も落雷により焼失、京の都の西半分は何も無くなった。(上代)
大きな愛や仕事を手に入れるには、大きなリスクが付きもので在る。