『羅城門とは何か、其の③』

 『羅城門とは何か、其の③』 兜跋毘沙門天立像の兜跋とは、チベット、の事で在る。チベット、チベェート、ツバァート、トバァーツ、トバツ、兜跋。
 インドで生まれた仏教は西アジアを廻りチベットで、山岳宗教の密教と成り中国に伝わる釈迦を超えた大宇宙の太陽神、大日如来として遣唐使の、空海、最澄により日本に伝い天照大神とも神仏習合し日本は救われた。
 倒壊した羅城門から救い出された兜跋毘沙門天は中国産の桜材による。700年唐代で作られた仏像で、西アジア西域風の美男子の特異な国家鎮護の霊像として本来、羅城門に安置されて居た。北方守護の役目を果たすと言う。門の倒壊後、東寺に移される。平安京の縦の中心、朱雀大路の正面に大内裏を拝み南に表玄関の羅城門は在った。右、東半分が隋の都、洛陽と呼び左に、西半分を唐の都、長安と呼ぶ。中国で洛陽と長安は同じ経度に左右、隣同士に並んで居る。後日、洛陽は焼き打ちに合い破壊された。平安京では洛陽側で東側が栄え、西の長安側の西側は廃れ元の湿地帯に戻った。羅城門は威風堂々とした朱塗り円柱、二重楼閣の二階部に兜跋毘沙門天(写真)が睨む。緑釉瓦等は不明。羅城門は朱雀大路よりの邪気等排出門でも在る。(上代)
「目標に向かって努力を続づけ、個性を伸ばし、周囲から喜ばれる様な働きを目指したい」