『常日常の精進する人、備える人にチャンスは訪れるのか、』 一流は遣るべき事を決めて居る。二流は遣りたい事だけ決めて居ると言う。何が違うので在ろうか。要するに「自分が愉しくて、そして、人も喜ぶ」其の様な、腕前、能力を身に着ける事なのか。チャンスは常日頃、精進する人だけに訪れると言う。又、其の様な器に成って居れば勝手に入って来ると言うのだが。
然し、チャンスは掴み取るもので、出会い頭に遣って来ると言う、正にチャンスで在る。一瞬の躊躇いが、直ぐに掴まないと、行き過ぎで仕舞えば、もう掴む事が出来ません。と、言う事はチャンスに備えなければ為りません。其れだけの能力を身に着けて居る必要も在る。小生八年前より自社自宅前の道路掃除を始めて、人を見習って、近所の国道まで等、朝に行って居りますが、此れが物凄く良いと感じています。道路掃除は、チャンスを掴む練習をして居るのだと言われる。何か、天からも見られて居る様な気がする。此の道路掃除が好きで止められません、人にも勧めて居ります。チャンスは良い機会で在るが、良い機会は作れるので在ろうか、確かに機会は望まなければ遣って来ません。其れに対応出来る体勢造りも怠っては為りません。(上代)
人生は生涯学習で、研修やセミナー等なくして成長なし。