『己を向上させる為に、正すべきは正す』

 『己(おのれ)を向上させる為(ため)に、正(ただ)すべきは正す』 例(たと)えば小生(しょうせい)「おもてなし」の心が希薄(きはく)で在った、人を喜(よろ)ばす事の大切さを弁(わきま)えては居なかった。接待(せったい)客を持成(もてな)すのが苦手(にがて)、不得意で在る。然(しか)し是(これ)も出来なければ技量(ぎりょう)で在り得(え)ず。「おもてなし」の語源は茶道からと言われ、千利休(せんのりきゅう)が創(はじ)めたと言われる。江戸時代に入り名主(なぬし)や庄屋(しょうや)等は代官(だいかん)、国司(こくし)(税の最高役人)を自宅の数寄屋(すきや)造り角屋(すみや)等に於(お)いてお泊(と)めし、茶席接待が恒常化(こうじょうか)し遊興(ゆうきょう)の世界を体現(たいげん)する。風流にも庭に池が床下まで入り込む景色と接待はなされて居た。酒席、料理が次から次へと出され正(まさ)に遊興(ゆうきょう)、一期一会(いちごいちえ)の千利休茶道の世界が為(な)された。
 明治3年に日本で初めての文化調査が行(おこな)われ、茶道は遊興の世界と看做(みな)され禁止、大正に入る頃迄茶道は廃(すた)れた。茶室は書院造(しょいんづくり)座敷の一体造(いったいづく)りは分離(ぶんり)、其(そ)れまで裏路地(うらろじ)から入り後(のち)、玄関から出る遊興の世界が禁止される。
 其処(そこ)まで行かずとも、心を籠(こ)めて接待が必要に迫(せま)られ技量(ぎりょう)の一つとして試(ため)された。次から次への、おもてなしで在るが、喜んで頂(いただ)く事が役目で在る。
 人を喜ばす為の心構(こころがま)えは在りえ又、役目をもこなす度量(どりょう)でも在ろうか。「おもてなし」技量が問(と)われて居る、十分に己を磨(みが)く必要が在る。(上代)
           「倫理とは己を護る道徳で在る」