「木遣(きや)り研究 其(そ)の⑦ 道教(どうきょう)(風水(ふうすい))とは何か」 隋(ずい)の都(みやこ)は「洛陽(らくよう)」が続く、唐(とう)の都「長安(ちょうあん)」(今の西安(せいあん))が造営(ぞうえい)される。東と西、左右に並(なら)んで都が置かれた。平安京では両方の都(みやこ)を参考に遷都(せんと)。都の東半分が洛陽、西半分を長安と称(しょう)した。西側半分は湿地帯で400年続いた平安京の中期頃に廃(すた)れ、東半分の洛陽と呼(よ)ぶ地域が盛んに賑(にぎ)わったが中央大通り朱雀大路(すざくおおじ)は運河(うんが)と化(か)した。
平安京は大陸の道教思想(どうきょうしそう)、風水(ふうすい)に依(よ)って造られた。「北座南向(ほくざなんこう)」奥を北に、正面は南向きに。「背山臨水(はいざんりんすい)」前に水が流れ、後(うし)ろに山が在る。風水は道教思想で在り、地形も人体(じんたい)と考える。都は大内裏(だいだいり)で大極殿(だいこくでん)の位置が重要に、生気(せいき)の吹き出す地点で、南の朱雀(すざく)大路を南下、羅城門(らじょうもん)より濁(にご)った気が排出されると言う。風水は元々お墓の作り方研究から発(はっ)し、人が産まれ変わる子宮(しきゅう)の生命力を願って考え出されたもの。宮(みや)とは子宮を意味する。道教(どうきょう)とは老子(ろうし)を祖(そ)として『現世(げんせい)での幸福と不老長寿を求める民間信仰で世界は八つの隅(すみ)から出来て居る』と言う。平安中期頃に唐で道教の黄巣の乱(こうそうのらん)が起きた。長安は攻(せ)められ唐(とう)は崩壊(ほうかい)、中国は仏教を道教が吸収。日本は察知(さっち)、遣唐使(けんとうし)は廃止され道教(どうきょう)は神道(しんとう)が吸収。道教は天皇家のみ扱(あつか)い唯(ただ)、地鎮祭のみ道教が伝わる。(上代)
「行いは四角く、心は丸く」