「木遣り研究 其の⑧ 釿始めの儀」

 「木遣(きや)り研究 其(そ)の⑧ 釿始(ちょうなはじ)めの儀」 元来(がんらい)、太秦(うずまさ)の広隆寺は秦氏(はたし)の氏寺(うじでら)だったと想われる。聖徳太子の縁(ゆかり)の寺でも在る。毎年の正月は2日、朝の10時より広隆寺、本殿前にて工務店、大工の仕事始め「釿始(ちょうなはじ)めの儀」が番匠(ばんしょう)保存会に依り行なわれる。境内(けいだい)に於(お)いて御幣(ごへい)に囲(かこ)まれ神道(しんとう)の様式(ようしき)により雅楽(ががく)も加わり厳(おごそ)かに執(と)り行われる。神仏習合(しんぶつしゅうごう)で在る。木遣(きや)り音頭(おんど)が高らかに境内を皆(みな)で太い棟木(むなぎ)を曳(ひ)く。寺院建築時に於(お)いて平安中期より始まった。
 「釿始めの儀」大工道具に神への感謝表明で在ろう。道具を祭壇(さいだん)に供(そな)え先(ま)ず仕事始めとして使うので在ろう。道具が仕事をしてくれるのを理解されての儀式で在る。当時より寺社建築、公共事業に類(るい)するものは殆(ほとん)どの場合、人手(ひとで)は駆(か)り出され人件費等は只(ただ)同然で、安全の概念(がいねん)は近年の明治以降に為(な)る。余(あま)りにも犠牲(ぎせい)が多いと人柱(ひとばしら)を立てる位(くらい)だったと言うので工事完成が優先(ゆうせん)
 何故(なぜ)ならば、神と対話を行って居るので在ろう。初めに差し金(矩尺(かねじゃく))と墨挿(すみさ)し、次に下げ振りに成る墨壺(すみつぼ)の糸で直線を引き主役の釿(ちょうな)が打つ。最後に遣(や)り鉋(がんな)は仕上(しあげ)る。これ等(ら)の大工道具は大陸や半島から伝わったもので無い。日本独自のもので、聖徳太子の徳(とく)を讃(たた)え工事の完成と安全を願う神事(しんじ)。(上代)
            何時もチャンスで、ピンチでも在る。