『結』
40代で全力を挙(あ)げ50代で足(た)らざるを知り60代で偉(えら)くなる。 「嗚呼(ああ)、我六十四(われろくじゅうし)、正(まさ)に一生の半(なか)ばを終わらんとす」我(われ)、鮮(あざ)やかに40~50才で己(おのれ)の一生が決まると聴(き)いて居た。全力を尽(つ)くした感(かん)も少しは在り建築で生きて来た。昔は子供の頃(ころ)より55才が定年(ていねん)で働(はたら)くのは55才迄(まで)と決めては居た。其(そ)れ以上働くのは恥(はじ)だと感じ今迄(いままで)、何をして居たのかと言わざるを得(え)ない。
55才より自分の好きな事をして此の世(よ)に何かが残せる様に目論(もくろ)んで居る。斯(か)くして、何故か53歳の時、己(おのれ)のレールが観(み)えたので在った『俺は此の程度(ていど)の人間なのか、只(ただ)の工務店のおっさん、だったのか』と知った。其処(そこ)で一念発起(いちねんほっき)。文章家に成ろうと決(けっ)す。最後のチャンス。其(そ)れから文章と言えるものを書き倒(たお)す。元(もと)、新聞部で在った。ずうーと心の片隅(かたすみ)に美しい文章はどの様に書くのかと想って居る。歴史にも興味が在り竪穴式(たてあなしき)住居や数奇屋(すきや)等をも勉強し出す。「一心不乱(いっしんふらん)」に原稿用紙一枚半で600字、一口講座(ひとくち)と称(しょう)するものを始める。
60代に入ってからは、50代に仕込(しこ)んだものが功(こう)を奏(そう)したか勉強した事も良かったのか、身に着(つ)けたものか活用され60歳より第二の人生は楽しいものと為(な)ったのは言うまでもない。其(そ)して、色んなお役(やく)も回(まわ)って来た。(上代)
「徳を積む、人徳は財産で在る」