『おもてなしの心は、茶道(さどう)を完成させた千利休(せんのりきゅう)に依(よ)るものか』 「おもてなし」」とは、設(しつら)えやお料理の準備に於(お)いて、如何(いか)に楽しんで喜んで頂(いただ)くか、迎(むか)える側も一緒(いっしょ)にどう楽しむかと考え、お庭の雰囲気と相(あい)まって心置(こころお)き無く寛(くつろ)いで頂く心遣(こころづか)いで在ろう。茶飲(さいん)の習慣は中国南部、宋(そう)より禅宗(ぜんしゅう)が伝わり武家社会に受け入れられ定着する。中国で仏教は道教(どうきょう)に吸収されるが、達磨(だるま)大師の禅(ぜん)は分派(ぶんぱ)と想われ仏教本流は日本に伝わる。禅宗(ぜんしゅう)は釈迦(しゃか)の若き日、王子の修行時代、悟(さと)りを開いた教(おし)えを実存する人間での導(みちび)きを重(おも)んじ、弟子(でし)達が伝えたものと言う。貴族社会後の鎌倉時代、武家社会に禅宗は広まった。
禅(ぜん)と共に茶飲(さいん)の習慣が伝わり、貴族社会では自然の神々の美しさを讃(たた)える和歌(わか)を詠(よ)み較(くら)べる歌数寄(うたすき)が盛んで鎌倉時代で武家社会に移ると茶飲の習慣に拠る風流な茶数寄(ちゃすき)の茶室(ちゃしつ)も造られた。室町(むろまち)から安土桃山(あづちももやま)時代へ千利休で茶道(さどう)は完成する。前段(ぜんだん)の精神的なテイセレモニーと後段(こうだん)の貴族風、歌数寄(うたすき)と称(しょう)する「おもてなし」の宴席(えんせき)が一体で在った。其(そ)れは其れは楽しいもので在っただろう。明治5年の文化調査により茶道は遊興(ゆうきょう)の世界だと見做(みな)される。大正に入る迄(まで)廃(すた)れる。茶室と歌数寄の書院造(しょいんづくり)は尽(ことごと)く分離(ぶんり)された。(上代)
解ら無い事も何れ、分かる様に為る。