成りたい自分に成る為に生きて居る、其れが人生で在ろう。

 成りたい自分に成る為(ため)に生きて居る、其(そ)れが人生で在ろう。 成りたい自分に成る為に生きて主体的に生きて居る。又、己(おのれ)の成すべき事を見付ける必要に迫(せま)られ、為(な)すべき事は大抵(たいてい)、子供の時の夢の達成に在る事が多いと言う。
 然(しか)し、コツコツと小さい事の積み重ねも必要で達成には「一心不乱」(いっしんふらん)に続ける事が非常に重要で在ると言う。大概(たいがい)の場合10年以上必要で、好きな事をして居るので何も苦に為(な)ら無い。寧(むしろ)ろ楽しい事を続けて居て主体的に生きるとは此の事を指(さ)すので在ろう。好きな事をしながら夢が実現すると言う事なのか。唯(ただ)、自分の好きな事を見付ける必要も生じ、見付から無ければどう為(な)るので在ろうか。此れでは不幸と言わざるを得(え)ないのか。己(おのれ)の成すべき事を完全に認識する迄(まで)には時間も掛(か)かると言え、迷(まよ)いが在っては為ら無いとも言える。己の成りたい自分とは、どの様な自分で在ろうか。「一心不乱」に迷いの無い己で在る必要が在る。「一心不乱」とは雑念(ざつねん)の無い事を言う。雑念とは曇(くも)り、雑念とは気持ちを統一するに邪魔(じゃま)な色々の考えで在ろう。詰(つ)まり「気持ちを統一する」に在るのか。気持ちを統一するとは、決めた道を進むしか無いと覚悟(かくご)する事(全(すべ)てを天に運命を任(まか)せ、心を決める事)なのか。(上代)