『斗拱(ときょう)研究 其の⑧ 瓦が伝わる前夜、檜皮葺(ひわだぶき)屋根が現(あらわ)る』 仏教建築が伝わるのは飛鳥(あすか)時代の596年、飛鳥寺(法興寺)が着工された。仏教を信奉(しんぼう)する最高実力者、蘇我馬子の氏寺(うじでら)で、聖徳太子との政(まつりごと)の時代でも在った。
日本で最初の寺院、飛鳥寺は友好国の百済(くだら)より宮殿建築の技術者、多数渡来(とらい)し初めて屋根に瓦が葺(ふ)かれた。飛鳥京の周辺で窯(かま)も造られ焼かれる。以後、寺院には瓦が葺かれる様に成る。が、其(そ)の直前に大陸式建築と呼(よ)ばれる仏教建築は伝わって居た。瓦の代(か)わりに瓦葺の様に重ねる、日本に豊富な檜皮(ひわだ)を用(もち)いた檜皮葺(ひわだぶき)が考案される。軒先より重(かさ)ねて行く重厚な屋根で「大陸式建築」、とは身舎(モヤ)と庇(ヒサシ)からなる仏教建築。現存するのは法隆寺の食堂(じきどう)。
「飛燕垂木(ひえんだるき)」は檜皮葺屋根の為(ため)に考案され、檜皮を葺くのに厚みも必要で、檜皮の軒先スターターに広小舞(ひろこまい)は必要で重ね代(しろ)に当たって斜(ななめ)めに持ち上げ、短く斜めに跳(は)ね上げる飛燕垂木が必要に為(な)った。檜皮の長さは89㌢で在り、7mmづつ重ねて行き、広小舞部に茅(かや)と葦(よし)が敷かれ地垂木(じたるき)に野地板も張られる。
檜皮葺に飛燕垂木が必要に迫(せま)られ完成。瓦葺も飛燕垂木は用いられ日本の化粧軒裏は完成する。檜皮葺は神社建築と成り寺院様式も加わった。(上代)
過去の想いは、記憶と為り、歴史と為る。