『斗拱(ときょう)研究 其(そ)の③ 深い軒(のき)を支(ささ)える為(ため)の突っ飼(か)い棒。』 『斗拱(ときょう)は紀元前後の古代中国、支配者層の邸宅で二階建住居の大屋根、深く出す軒を支え、二階胴足元床部より突っ飼い棒の斜材(しゃざい)で大きく四方に周(まわ)り巡(めぐ)らされた邸宅建築から生じた。』中国の斗拱は「方杖(ほうづえ)」の役目を帯(おび)る華々(はなばな)しい構造美です。
「方杖の有る建物」は、中国の遺跡、(後漢(ごかん)時代、後25年~230年)在った事が知られて居る。因(ちな)みに、【九州の倭奴国、後漢に使者を送る。57年】中国に仏教伝来(67年)紙の発明(109年)道教黄巾(どうきょうこうきん)の乱(184年)
中国では、屋根の軒を支えた此の「方杖」が斗拱と側柱列(そくちゅうれつ)にも変わった。中国の斗拱は方杖、其のものです。日本では其の後、「拮木(はねぎ)」の発明に拠り、此の様な方杖は必要無く為りました。方杖では目障(めざわ)り此の上無く、日本人の感性で美しく在りません。此の方杖が中国の影響、名残(なごり)で在ろうか伝わって居て日本にも存在した。京都大山崎の土辺(つちべ)古墳から大型の家形埴輪(はにわ)が出土する。古墳時代(300~538年)前期のもので、其れ迄(まで)の日本の伝統的な建物に無い二階建で大屋根を四方に巡る方杖、斜材が深い軒を支えて居る。渡来(とらい)、有力氏族(しぞく)の邸宅で古墳時代に存在、須恵器(すえき)をも日本に伝えた人と言ふ。(上代)
斗拱は装飾物と為り、精彩を失った。