『京町家』のお話。其の44 結局、京町家の原形はしもたや。

 しもたや、(商店街の店舗併用(へいよう)住宅)が、京町家の原形と言える。徳川家康は京の伏見、から江戸に幕府(ばくふ)を移す。最新で大都市の江戸を築(きず)く為(ため)に、京の都より各職方多数、主に大工等の建築職人や多様な伝統工芸技術者も投入され移り住んだ。
 江戸の町は火災が多く、寺院建築は飛鳥(あすか)時代より全て瓦で葺(ふ)かれて居たが防火の為(ため)、真っ先に武家屋敷等も瓦で覆(おお)われる。屋根に瓦が葺かれ、壁は土塗籠大壁土蔵(つちぬりこめおおかべどぞう)仕上げも主流と為(な)る。江戸には、通り庭(とおりにわ)や火袋(ひぶくろ)は無く路地が在る。
 京の都も経済活動は盛(さか)んと為り、商店街は形成されて行く。其(そ)れ迄(まで)の平屋、から商店では使用人も増え、店舗併用住居の中二階建が大勢と為る。防火の為、むしこ窓で中二階を飾(かざ)る。段格子(だんこうし)の出格子、付格子も京の都の賑(にぎ)わいを醸(かも)し、立派な構(かま)えの商店も連(つら)なる様に為り、京の都も江戸に倣(なら)い次第に屋根は瓦葺と為って行く。此の様な中二階の商店街の店舗併用住居を「しもたや」と呼(よ)ぶ。
 「しもたや」は、民家の原型と言える近郊豪農(ごうのう)の家屋様式で室町後期には定着して居り、土間の三和土(たたき)にカマドが設(もう)けられ火袋(ひぶくろ)も形成された。其(そ)して、傍(そば)に井戸、流し(はしり)を設け「京町家」の通り庭(とおりにわ)も形造(かたちづく)られた。(上代)
           イマジネーション(想像)とクリエーション(創造)。