五重(三重)の塔は仏舎利塔(釈迦の遺骨)であるが、インドより中国から伝わり、レンガで造られた大雁塔がモデルで在ろう。大雁塔では経典が納められ、最上階屋根突端に仏舎利が塗り込め納められている。日本の五重(三重)の塔では、基壇の心柱礎石下約3㍍に米粒大の仏舎利が納められています。唯、密教の東寺、五重塔では宇宙的な太陽神、大日如来が鎮座され、仏舎利は大雁塔と同じように、屋根上の相輪(宝輪8~9段)第四心柱で先端部の心柱中に納めて在る。因みに、卒塔婆は五輪塔そして五重塔を象ったもの。
さて、最初に創建、造られた五重(三重)塔は538年、友好国の百済より仏教が伝わり飛鳥時代始まる。596年大和朝廷は仏教徒の蘇我馬子を中心に日本最初の寺院、飛鳥寺を建立、五重塔(現存せず)も造られた。そして、約10年遅れで飛鳥寺を手本に、現在観られる二番手寺院、聖徳太子の法隆寺は創建さる。五重塔も其の姿が観れる。(約300年置等間に大規模改修を成されるが一般的、其の時代を反映し形が多少変わる。)607年遣隋使派遣。最初の飛鳥寺は伝わった大陸様式礎石柱の仏教建築と日本古来の堀立柱祭殿高床様式の神社建築とを融合した寺院建築で在る。主に百済より各技術者を呼び寄せ(後に帰化す)大和政権主導の下、完成された。しかし何故この様に工夫、完成された素晴らしい制震、軟構造の五重(三重)塔が生まれたのか良く分かっていない。弥生時代後期には既に和様と呼ぶ重層建築(軟構造)や可成り高い櫓建物、楼観と総柱型堀立柱高床式祭殿建築も多数建てられた。この辺りにヒントが在るかも其の棟持柱とは何ぞや、環濠集落で切妻屋根大型高床倉庫の堀立柱列妻行両側、中央前後に飛び出す2ヶ所で、やや斜め長い丸支柱で太い棟木のみを支える。地震時効果共に同調制震材体か。(上代)
その6、に続く。
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