「対、地震についての考察」 その3

 強風で塔が傾いた記録が有る。しかし詳しい記述は無い。唯、比較的容易に塔を真っ直ぐ戻す事が出来たと伝わっている。それは半世紀等、長年経つと各層各部に隙間が生じて雨漏り等が起こり始める。その為に数十年置きに心柱を切り下げる。しかし下げ降ろしが途中で止まって仕舞、礎石に隙間が生じて心柱の釣り下がり分が多く成り、礎石上の心柱が横風で外れ、四天柱に寄り掛かって最上層の五層目と相輪が傾いたのでは、と推測される。
 五重(三重)の塔は200年後に30cm、350年では50㎝沈下する。(東寺五重塔は360年経っており心柱が50㎝切られて居る。)再建された薬師寺西塔、三重塔は約200年後に30cm沈下すると計算されていて、隣の東等と同じ高さ(見越して30cm低い)に成ると計算されて居る。では何故沈下するのか、其れは、日本古来の伝統建築組み、堀建柱建物の名残で、重層構造(平屋建)の特徴に在る。重層構造には主荷重を受ける通柱は無く、例えば垂木上の柱盤に上層側柱が立ち、尾垂木上の肘木、斗拱が受ける等各部材が全構造仕上体重を支えます。故に各部の木材は約一分(3mm)以上収縮するので全体では数十センチ沈下します。しかし故に利点として隙間が生じ無い筈で在る。しかし五重(三重)の塔では沈下すると、困った事に、吊り下がる心柱が完全に礎石上に付いて仕舞、通柱と成り、全荷重を受けて、塔の各層、至る所に隙間が生じ、そして心柱の重要な制震体の機能が損なわれる。故に半世紀等、数十年に約6cmずつ心柱を切り下げる。6cmと言う数字は、塔の完成時に心柱底と礎石の周囲、厚さ6cmの楔を工事期間噛まして置き、外すと全重量の圧力で各部材が圧縮されて下がり、心柱は吊り下げられ、相輪も銅製の蛇腹を貫く心柱に適当な隙間が生じ、制震の機能を果たし得る。(上代)
               その4、に続く。
                 ↓↓↓