『五(三)重塔は何故大地震に倒れ無いのか不思議、其の①』

 『五(三)重塔は何故大地震に倒れ無いのか不思議、其の①』 1185年平家一族は山崎、西国街道から逃れ2月に屋島の戦いに敗れ一月後の3月、壇ノ浦で敗れ三種の神器と伴に瀬戸内海の藻屑と消えた。其の夏、京の都は大地震に見舞われ尽く壊滅した。巷では平清盛の祟りだと囁かれた。
 然し、東寺、西寺の五重塔も岡崎の法勝寺、高さ81m八角形九重塔も屹立したままで在る。やはり無傷とは行かず瓦は全て落ちて、言い伝えに寄れば東寺の五重塔の相輪部が折れたと言う。当時折れた部分に舎利を納める欠損が心柱に在った。多くの建物が倒壊しても五(三)重塔は過去一切、倒れるのが観察、記録もされ、スネークダンスのジグザクに揺れる。五重塔は五階建てで無くて日本建築の伝統、重曹建築で在る。初めから木材の収縮が計算されて居て12パーセント縮む。縦には軸方向には縮まずに、五(三)重塔は相輪部も心柱が全通し全高の一割が低くなります。低くなると浮いている心柱が礎石に着くので50年に一度、6cmづつ切られます。東寺の五重塔も心柱が50cm切られて居る。250~350年で縮みは治まる。(上代)
「どんな条件であれ、私には確信が在る」