『景観(けいかん)とは設(しつら)え、質観(しつかん)に外(ほか)なら無いのでは、』 都市は理想を必要とすると言う。「伝統景観、自然景観、質的(しつてき)景観」其(そ)れは「おもてなし、やすらぎ、しつらい。」と言える。景観(けいかん)とは「しつらい」の事で決して只の自然では無く、よく手入れされて居るもので在り正(まさ)に「設(しつ)らい」で在ろう。質的景観とは、「しつらい」に当たる。伝統景観では「おもてなし」と言える。何故(なぜ)ならば、「伝統文化」を育(はぐく)んで居て観光要素の主体を占(し)めるからで在ろう。自然景観は「やすらぎ」で「おもてなし」此の「やすらぎとしつらい」の二つが必要。「しつらい」は何か様式美(ようしきび)や形式美(けいしきび)で在ろう。やはり伝統文化が必要不可欠なのか其(そ)の地域、地域に伝統文化は在ります。伝統景観を掘り起(お)こす「町興(まちおこ)し」で在ろうか質的景観「設(しつ)らい」に依って生かされてはデザインをされて行く。
小生(しょうせい)の住まいする伏見区の向島学区は過去、桃山文化圏(ぶんかけん)だったと言える。RC造桃山城を望(のぞ)み、城下町に繋がり現在も御香宮氏子(ごこうぐううじこ)地域で祭りも盛ん。又、「太閤堤(たいこうつづみ)」から生まれた地域で豊臣秀吉の元指月亭(しづきてい)、伏見城より眺(なが)めの良い豊後橋(ぶんごばし)(観月橋)を渡り徳川家康(とくがわいえやす)が押し留(と)められた向島城(むかいいじまじょう)が在った。今は巨椋池干拓地(おぐらいけかんたくち)で面影(おもかげ)は無く桃山城跡は現在の明治天皇稜に在る。(上代)
『成す為に生きて居るのか』