『京町家』のお話。其の43 町屋と、武家屋敷での違いとは。

 「京町家」の様式は武家屋敷との対比(たいひ)に見る事が出来る。寒冷(かんれい)で在った室町(1336年~)時代も終り温暖(おんだん)な安土(あづち)桃山(1573年~)は多様な文化も発展し、江戸(1616年~)に進むと時代も安定。人口も増えて国を治(おさ)むる民(たみ)を救う、経済が盛(さか)んに為(な)って行く。茶の湯(ちゃのゆ)の流行等、権威(けんい)付けが重要視されたのか。
 町屋と武家屋敷の建て方の違いとは、基礎の自然石(玉石(たまいし))の礎石(そせき)を水糸(みずいと)で天端(てんぱ)を揃(そろ)える迄(まで)、同じで在るが町屋は柱を直接一本づつ礎石に、石端立てに建てる。対し武家屋敷では必ず壁の通りに、足固(あしがた)め土台が礎石に敷かれて、柱が組まれて建つ。次に、土塗籠真壁(つちぬりこめしんかべ)で在るが町屋では、片面のみシングルで竹小舞編(たけこまいあみ)下地の土壁で内側に力貫(ちからぬき)が見える。対し武家屋敷、社寺建築等は両面ダブルで力貫(ちからぬき)を挟(はさ)んで隠(かく)し、竹小舞編の土塗籠真壁が仕上げられた。
 屋根は江戸時代に入る迄、どちらも板葺(いたぶき)で在った。町屋では、縦引き鋸(たてびきのこぎり)の普及(ふきゅう)により薄い板で縦に下迄重(したまでかさ)ね押さえ横桟に置石(おいし)が並ぶ。武家屋敷は、縦に短い何段にも重ね留める杮葺(こけらぶ)きの原型で在った。町屋は薄い板を重ね置石押え。武家屋敷はスッキリ杮葺(こけらぶ)きに横桟の屋根で葺かれて居た。(上代)
           役に立つ、魅力有る、人間へと。