『羅城門とは何か、其の⑧』

 『羅城門とは何か、其の⑧』 此の写真は平安京、平城京の羅城門の原型、当時の唐の都、遥か遣唐使が見聞きした長安、今に西安に残る都城の羅城門で在る。高さは10mの城壁で、石やレンガで覆われて出来て居り、中は粘土と砂を交互に付き固められた丈夫な版築で在ろう。三門のアーチに、特にアーチ型は目出度い凱旋門を意味し他国の使者を迎え都の正門で在り、出迎えた。此の今の西安の様子で遥か唐の長安で羅城門は平安京、平城京での羅城門のモデルで似ても似つかぬが。然し此れが唐の都の羅城門で在る。
 其れでは何故、此の様にかけ離れた形をして居るので在ろう。日本では都に城壁は必要なく、今に見る平安神宮や平城京の朱雀門に近い形で在った。
 日本では凱旋門と言えば「冠木門」の事です。冠木門は砦の正門の凱旋門で在り、冠木門を唐風に創ったものと言える。大正天皇即位御大典の折りも、京都駅前に仮設の凱旋門のアーチが建てられ、市中の要所に目出度い冠木門が建てられ天皇は潜る。日本の冠木門は目出度い凱旋門で在る、アーチでは無いが。唐の長安の都に習って平城京、平安京は遷都され遣唐使の持ち帰った情報に拠り羅城門も朱雀門等も又、日本風に造られたので在ろう。(上代)
           早く結着を付ける為に、早く取り掛かる。