『指月城(伏見城)の石垣が発掘され、向島城の研究も進む』

 『指月城(伏見城)の石垣が発掘され、向島城の研究も進む』 先日、伏見桃山町泰長老、観月橋団地内の集合住宅建設に伴い発掘調査が行われ、指月城(伏見城)の石垣と内堀跡そして金箔瓦等が出土した。小生、直ぐ様、現地説明会に駆け参じた。然し、早めに来て観れば既に長蛇の列。益々行列は延々と二三千二人は来ている。大変な人出である。漸く説明現場へ、桃山時代の石垣積み、織田信長時代の石垣積み方と言う。石垣と内堀の途中迄が掘られて居た。同じ土砂で埋められて居るので、1596年の大地震で指月城は倒壊し堀は埋められたので在ろう。盛大な醍醐の大花見の三ヶ月後、で在る。秀吉は命辛々救い出され当時、謹慎中で在った加藤清正が馬で駆けつけ秀吉に褒められたと言う逸話も在る。又、堀の中から金箔瓦等が多数出土したので、指月城(伏見城)で在る事が確認された。此の内堀の東側に本丸が在ったと結論される。伏見城は直ぐ様、今の明治天皇陵の高台に移築され、利用出来る指月城の物は全て利用し急いで移築した。不要の物は埋められ、此の事により我が居住地の向島に当時、徳川家康の居城が在った事も論及され、向島城の歴史研究も進み明らかに成る、有難い事で在る。(上代)
           今、成すべきを成す為に、全力を尽くす。