『床ノ間の存在を問い直す、英語で言えばアルコーブか、』

 『床ノ間の存在を問(と)い直(なお)す、英語で言えばアルコーブか、』 床ノ間の語源は平安時代の寝殿造(しんでんづくり)、貴族の住宅の造り方でもある。天皇の寝殿板間中央に高さ90cm位(くらい)木製ベッド状の台に畳が載(の)り、付き人が寝ずのお世話をする。
 其(そ)れを貴族が真似(まね)て隅(すみ)に10cm位の台と畳を据(す)えたのが床ノ間の始まりで、残りの隅は押入れとし建具も入る。中央では無くて隅に低くして寝床とした。
 鎌倉時代に入ると武家社会で高僧達は学問に励(はげ)み力を付け、床ノ間は寝床では無く飾り棚、床ノ間に書院(しょいん)を付け、修行に必要な重い仏具や経典(きょうてん)書物も載せる厚い押板(おしいた)が加わり、光も入る障子(しょうじ)建具も考案され室町時代の銀閣寺、東求堂(とうきゅうどう)に見る床ノ間の様式が出来た。又、禅宗(ぜんしゅう)よりの茶飲(さいん)の風習も広まり、茶道とし発達し安土桃山時代、利休等(りきゅうら)の活躍により床ノ間の様式は完成する。
 小生(しょうせい)の親の残した築、53年の母屋(おもや)は昔の様式を留(とど)める床ノ間もあります。正面の落し掛(が)けは桜の自然丸太、床柱(とこばしら)は北山杉の磨(みが)き。狭い簡易飾り棚なので違(ちが)い棚では無く一枚板。上に天袋にゴマ竹の落し掛け、下の押板は寂(さみ)しいので置き床(どこ)を据え、縁側の面に付け書院もある。掛け軸は恥(は)ずかしながら、季節は5月なので紫陽花(あじさい)では在るが年(ねん)がら年中、秋の菊であるお粗末(そまつ)。(上代)
             「見え無いものから、見えるものが出来る」