『景観としての喫茶店の様に観える、路地の通り庭を』

 『景観(けいかん)としての喫茶店の様に観(み)える、路地(ろじ)の通(とお)り庭を』 京都景観エリアマネージャーとして売り出したく建物と建物の間(あいだ)を活かした「路地の通り庭」である。前面道路、通りに面する入り口の勝手口ドアーはお洒落(しゃれ)で在る事が肝腎(かんじん)であり透明ガラスで中が見通(みとお)せなければ成りません。やはり伝統的な格子戸(こうしど)で無ければ成りませんが、枡子(ますこ)の格子等で色は明るい方が良い。そうすると喫茶店の様に成ってしまうが出来たら喫茶店でも良い。写真自宅、通り庭も喫茶店と間違われて居ます。土間に敷石ももあしらう、屋根の庇(ひさし)等も架(か)かり、天光(てんこう)が入る必要も在り敷地奥植栽(しょくさい)も見え完全に見通せ無ければ成りません。
 然(しか)し、只の勝手口ドアーでは無くてまた、玄関ドアーで在っても為(な)りません。おしゃれな勝手口ドアーに透明ガラスが嵌(はま)って無ければ成りません写真の様に。「路地の通り庭」を生かすには是位(これぐらい)の親子ドアーが必要である。又、不可欠なのがランタン照明やプランター類である。生活、暮(く)らしのキッチンや食堂が側面なので見えないが表出(ひょうしゅつ)はして居る。是(これ)こそが景観で在り、生活、暮(くら)しの表出も含(ふく)めて景観とする。喫茶店の様に観(み)える建物と建物の間(あいだ)を活かす「路地の通り庭」左の縦(たて)格子横は町内のお地蔵様に鎮座(ちんざ)して頂きます。(上代)
      『泰然自若(たいぜんじじゃく)おちついて居て、何時もと変らぬ様子』