『座敷を透明ガラス建具で、夜中も中庭と一体に、』

 『座敷を透明ガラス建具で、夜中も中庭と一体に、』 小生(しょうせい)、此の座敷(ざしき)で寝起(ねお)きしているが、確(しか)と自然界の中に抱(いだ)かれている感じもする。カーテンを閉めず夜中(よなか)も小さな明かりを入れて暮(くら)し生命力を頂(いただ)いて居るのである。確(たし)かに感じる。雨の日、風の日、晴天の日々、夜明け日暮(ぐ)れ時、其(そ)の季節感と共に表情を変える。夏の喧騒(けんそう)も楽しみでありセミが喧(やかま)しく、秋の風流も楽しむ。
 今、己(おのれ)の幸せ観に満足をして居るが尚一層(なおいっそう)、展開を繰(く)り返すも、妬(ねた)む者のバカに躍おどらせる大バカ者の誹謗中傷(ひぼうつうしょう)にはウンザリして居る処である。
 放(ほ)おっては置けばよいのだが、先日より詩吟(しぎん)での漢詩(かんし)の練習に佐久間象山(さくまぞうざん)作『漫述(まんじゅつ)』を吟(ぎん)じている「謗者汝膀任、嗤者汝嗤任、天公本我知、他人知覓」
 『謗(そし)る者は汝(なんじ)の謗(そし)るに任(まか)せ、嗤(わろ)を者は汝(なんじ)の嗤(わろ)をに任(まか)せん、天公(てんこう)を本を我を知る、他人の知るを覓(もとめ)ず』と喝破(かっぱ)、高吟(こうぎん)して居るが、妬(ねた)みや嫉(そね)みは無く為(な)らないのである。自分も気を付けなければならない。対処法として尚更(なおさら)に、もっと奮闘(ふんとう)努力も必要であろう。独自の道をも歩(あゆ)むので在るも、その辺が解(わか)ればよいのだが「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)一歩を進む」「一貫不怠(いっかんふたい)」「苦難福門(くなんふくもん)」切(せつ)に生きるとは、ひたすら生きることで『そこまでやるか』ひたむきに生きる。(上代)
           「己を高める為に、苦難は訪れる」