『烏丸三条角で路端に立つ「道路元標」とは何か』

 『烏丸三条角で路端(ろばた)に立つ「道路元標(どうろげんぴょう)」とは何か』 シャンゼリゼ大通りに凱旋門(がいせんもん)(アーチ)は建つ。此の凱旋門もパリの「道路元標(どうろげんぴょう)」パリ市の中心を示(しめ)す。又、東京の中心を示す立派な東京市道路元標も立つ、門では無いが。大きく左右対称(さゆうたいしょう)に広がりアーチ状スズラン型でガス灯風「道路元標」で在る。
 然(しか)し、何故(なぜ)か京都市中心部を示す「道路元標」は路端(ろばた)の小さな石標(せきひょう)で在る。別に此処(ここ)に日本の凱旋門、冠木門(かぶきもん)が建って居てもおかしく無く、小さな石標(せきひょう)では寂(さび)しく解(わか)り難(にく)い。日本では凱旋門では無く冠木門を造りアーチでは無い。砦(とりで)の門の城門(じょうもん))で在り、戦(たたか)いに勝利して凱旋(がいせん)、目出度(めでた)い祝(いわ)いの門で在ろう。
 1928年11月、昭和3年に天皇即位(そくい)の御大典(ごたいてん)は京都で行われ、京都駅から御所へ向かわれる昭和天皇の行列は、京都駅前に仮(かり)に設(もう)けられ凱旋門風、奉祝門(ほうしゅくもん)アーチを潜(くぐ)り御所に向かう。所々(ところどころ)にアーチや冠木門は立てられた。
 現在、烏丸を北上し御所に向かう京都の中心地を表(あらわ)す三条通へ入る交差点、道幅狭(みちはばせま)くビルの谷間、其処(そこ)が東西へ続く三条なのかよく解(わか)ら無い。唯(ただ)、何も無いビルの間を抜(ぬ)けるだけで在り、古都京都らしく立派な冠木門(かぶき)等、歴史的京都市の中心部を示す「京都市道路元標」を建てるべきではないか。(上代)
  「人生は、出来る事に集中する事で在り、出来無い事を悔やむ事ではない」