『都市地域のダイナミズムを求めて』

 『都市地域のダイナミズムを求めて』 街(まち)は、基本の枠組(わくぐ)み(パラダイム)を探(さが)し求めて解(わか)らないもの分(わか)からないものを具現化(ぐげんか)しようとするのか。解(わか)らないものを具現とは何か。例(たと)えば、日本人は遠い過去よりの受け継(つ)いだ歴史と時の流れの中で綿々(めんめん)と記憶が見て居たものは観(み)えるのかも知れない。遺伝子の記憶の中に染(し)み付いて居るのが蘇(よみがえ)り伝(つた)わるのか。縄文時代黎明期(じょうもんじだいれいめいき)より、紀元前一万一千年よりの竪穴式(たてあなしき)住居に最後は平安中期まで続く暮(くら)しの其(そ)の生活様式の中で当時、見たもの感じたものが沁(し)み込み日本人の記憶の片隅に、古代人の願いや想い希望が伝わり蘇(よみがえ)るのかも知れない。変遷(へんせん)の竪穴式(たてあなしき)住居にて日本人は過去、一万年以上暮(く)らして来た。例(たと)えば、最初の南面の出入りは躙(にじ)り口や東側は「はしり」流(なが)し台の小さな排水口の小窓が開いて居り「東雲(しののめ)」と呼(よ)び日本の住まいの最初の窓で在る。篠(しの)の目が東雲(しののめ)に為(な)った。竪穴の周提(しゅうてい)の壁に葦簾(よしず)が廻(まわ)り其(そ)れに靠(もた)れ夜が明けるを待つ。東側の排水口の小窓「東雲(しののめ)」から地平線に雲が紫色に染(そ)まり明けて来る。其(そ)れが日本人の心に強く沁(し)みた。因(ちな)みに弥生(やよい)後期大陸より伝うカマドは周提の北側に付く。天皇は朝、望楼(ぼうろう)に上(のぼ)り各戸(かくと)「囲炉裏(いろり)」朝餉(あさげ)の煙が立ち上(のぼ)るを祈(いの)り見、無くば報(しら)しめる。(上代)
           「言い訳する意思を捨てる」