『豊かさを求める循環型社会とコミュニティーは』 

 『豊かさを求める循環型(じゅんかんがた)社会とコミュニティーは』 「循環型(じゅんかんがた)社会」とは「使い捨(す)て社会」では無く「使い回(まわ)し社会」で在る。物の時代から心の時代だと言われる。即(すなわ)ち、物質的豊かさから精神的な豊かさへと価値基準を変えなければ為(な)りません。其(そ)れも豊かさを求める持続(じぞく)可能な循環型社会で在ろう。
 豊かさとは何か。物質的な面での不十分な日本の住宅の広さが在ると言う。然(しか)し、皆(みな)年を取れば広さは小スペースで良いと言う。太古(たいこ)より求められたのが例(たと)えば、蘇(よみがえ)る生命力の様なものとか、徐福伝説(じょふくでんせつ)に見る争いの無い常世(とこよ)の国を求めた生命力の再生(さいせい)は豊かさの極(きわ)みで在ろう。実は生命力を感じ生命力を取り込められるのが中庭(なかにわ)、坪庭(つぼにわ)の木々(きぎ)で在る。其(そ)の生命力に驚(おどろ)かされる。又、コミュニティーの定義(ていぎ)として「生活の場に於(お)いて、市民として自主性と責任を自覚(じかく)した個人及び家庭を構成主体として地域性と各種の共通目標を持った開放的でしかも構成員相互(そうご)に信頼感の在る集団をコミュニティーと呼(よ)ぶ」と在るが全(まった)く解(わか)らない。循環型社会とは要(よう)するに「個人としての生活や企業活動、行政の在り方など社会を構成する様々(さまざま)な側面で、新しい試みを取り入れて行かなければ為(な)らない。此(こ)れからも豊かさの希求(ききゅう)で在ろうか。(上代)
           「1人でも遣ってやると決める」