『信を培(つちか)う、とは何か』

『信を培う、とは何か』
 『信を培(つちか)う、とは何か』 「内なる無限の力(ちから)で在り喜(よろこ)んで生きる力(ちから)だと言う」【信(しん)とは学(まな)び続ける事、遣(や)り続ける事だと言う】どの様な道(みち)も同じ処に留(とど)まっては新境地(しんきょうち)に入れるものでは無い。当然、不易(ふえき)も在るが。
 一つの事を徹底的に打ち込む事が大事で、容易(ようい)に他に救いを求め逃(に)げ出しては人生の敗北者と為(な)る。「此れが好きで、好きで命ある限り時代がどの様に変わろうと意気込みを持っている限り、道は開ける」信じてこそ出来るので在ろう。【時折不信の中彷徨(さまよ)い、見失(みう)し無い易(やす)いもので在るが決して欺(あざむ)か無い、疑(うたがい)は無い事だと念じて行(おこな)い、内なる無限の力(ちから)としての「信」を培(つちか)い、喜(よろこ)んで生きる力(ちから)を養(やしな)わんと欲(ほっ)す】信(しん)とは己(おのれ)を信じ人をも信じる事で在る。
 然(しか)し、己(おのれ)の目指(めざ)す方向は観(み)えなければ為(な)らぬ。観える必要が在る。観えるとは何か。観(み)えるから出来るので在る、観えねば出来ない。最終的に何も考えず、想い道理に其(そ)れが出来る事で在る。『信(しん)を培(つちか)うとは、目的意識を持つ事か』夢の実現か、何かの役に立つのか。目的はドンドン替(か)わるもので在る。
 何故(なぜ)なら、道(みち)と呼(よ)ばれる其(そ)れは、道を歩(あゆ)むが如(ごと)く日々、変化し止(とど)まっては居ない。道を極(きわ)める為(ため)に生きて居るのか。唯(ただ)、『魂(たましい)は不動で在る』(上代)
           『観(み)えて居るから、出来るので在る』