『「和」とは、違いを認め合う心で在る』

 『「和(わ)」とは、違(ちが)いを認め合う心で在る』 日本を愛したドイツの建築家、ブルーノ・タウトは二年半余(あま)り、日本に滞在(たいざい)し建築事務所としても活動する。帰国後「建築とは組み立てる思想で在る」と理論付けた。タウトは富士山の観(み)える庵(いおり)に婦人と伴(とも)に仮住(かりず)まいした。タウトは「和(わ)」を理解したで在ろうか。
 茶道では「一期一会(いちごいちえ)」を習(なら)います。ブルーノ・タウトは「和の心」を理解したで在ろうか。「和」とは違(ちが)いを認め合う心で在る。数奇屋(すきや)建築に携(たずさ)わって居ると其(そ)れが解(わか)る。数奇屋は万葉(まんにょう)の時代(奈良末期 ~平安時代)より貴族の嗜(たしな)みとして寝殿造(しんでんづくり)の離(はな)れで貴族達は神に捧(ささ)げる自作和歌を詠(よ)み比(くら)べ、数寄家と呼(よ)ぶ建築様式(ようしき)の始まりで在った。其々(それぞれ)の個性的な建築材を生かし組み合わされ、多様な自然素材を変木等(へんぼくとう)が緻密(ちみつ)に構成されて行く。正(まさ)に違いを認め合い組立られて居るのが神髄(しんずい)で在ろう。ブルーノ・タクトは、和(わ)を理解したか。
 茶飲(さいん)の習慣が定着し桃山時代、千利休(せんのりきゅう)に依り茶道は完成し一期一会(いちごいちえ)に依り、違(ちが)いを認め合う心は研(と)ぎ澄(す)まされ、和の心も完成、山中(さんちゅう)の庵(いおり)、茶室も確立。
 歌数寄(うたすき)の書院造(しょいんづくり)、茶数寄(ちゃすき)の茶室は一体と成り、千利休の「おもてなし」は体系化する。国司(こくし)や代官(だいかん)等、高級役人お出まし時の接待用で在った。(上代)
           「建築とは組立る思想で在る」ブルーノ・タウト