『養心(ようしん)』とは何か。

『養心(ようしん)』とは何か。 時折(ときおり)不信の中、彷徨(さまよ)い見失(みうしな)い易(やす)いもので在るが決(けっ)して、欺(あざむ)か無い、疑(うたが)わ無い事だと念(ねん)じて行(おこな)い、内なる無限の力(ちから)として信(しん)を培(つちか)い、喜(よろこ)んで生きる力(ちから)を養(やしな)わんと欲(ほっ)す。『静吟詩堂(せいぎんしどう)吟詠会 宗家(そうけ)(故)諸富一郎(もろとみいちろう)の教(おしえ)えと継承(けいしょう)』人生は自分に於(お)ける精神上、肉体上の戦い又、人に対する戦いの連続で在る。戦いで在る以上負けでは無く勝たねば為(な)らぬ。言い換(か)えれば元気を出して之(これ)を克服(こくふく)せねば為(な)らぬ。然(しか)るに、戦いの武器は?刀か鉄砲か。決して其(そ)うでは無く、『誠(まこと)』こそ唯一の武器。(天下の万機(ばんき)は、一誠(いっせい)に帰(き)す)
(しこう)して、此の『誠』を武器として、精神上に於(お)いては絶(た)えず至(いた)らぬ自己を反省し、自分自身に鞭(むち)打って、修養(しゅうよう)に務(つとむ)べし。肉体上に於いては、病(やまい)は気からと言われる様に、真の気力を臍下丹田(せいかたんでん)に充実させ、我が生を励(はげ)まし健康に務(つとむ)べし。対人上に於(お)いては、誠の心を以(もっ)て感謝し謙虚な態度を以(もっ)て、相交(あいまじ)わり自己の責任を果(は)たす。『全(すべ)て、此の誠の心の発露(はつろ)』然(しか)し、人は自分中心の利己(りこ)主義に陥(おちい)り易(やす)い、憎(にく)しみ、妬(ねた)み、欲望に駆(か)られ易い。誠は言うに易く行うに難(がた)し、修養を積(つ)む必要が在る。(修養には色々の道も在る、倫理(りんり)等)
感激して、詩を吟(ぎん)ずるに真心(まごころ)を養(やしな)う、即(すなわ)ち誠の心を養うが原点。(上代)
「為せば成る、為さねば成らぬ何事も、」